トップページ >> 家具の産地「竹田」
近江国を発祥とし、文徳天皇の第一皇子惟喬親王を業祖とするという山の民-木地師 彼らは全国の深山幽谷を渡り歩き、良材を自由に求め椀を造って生計をたてた。
但馬竹田の法樹寺には菊花紋がついている木地師の無縁仏の墓があり、過去帳には木地師二十七名、漆を使う工人「ぬし屋」百三十一名の名が記されている。
引用(神戸新聞出版センター「但馬の木地屋」川見時蔵著より)
筒江の古墳から弥生期壷形木器が出土するなど、ふるくから木工品との関係がうかがえる但馬竹田に、今からおよそ400年ほど前、時の城主赤松広秀公が漆器作りを奨励し、神子畑に住んでいた木地師をよんだのが竹田の家具づくりの始まりです。
木地師は、単に生計を立てるために木工製品を造るだけでなく、木に対して崇拝の念といえるほどの愛着をもっていました。
「家々は澁(しぶ)の仕入れや竹田椀」と詠まれるほど隆盛をきわめましたが、陶器の発達により天保の末期頃より木製家具の生産技術を導入し、幾多の変遷を経て、昭和30年頃より、婚礼家具の産地として発達しております。
今日では、兵庫県の特産物に指定され別注家具の生産などにも取り組んでいます。
末長くご使用いただく大切な家具は、但馬和田山-家具のふるさと-でお求めください。
写真提供:神戸観光壁紙写真集